種子島    
Google Earth API
MENU 

種子島

種子島(たねがしま)は、九州の鹿児島県に属し、大隅諸島を構成する島の一つ。 県内有人離島の中で最も東に位置し、人口(約33,000人)は奄美大島に次いで2番目に多く、面積は444.99km²で、奄美大島、屋久島に次いで3番目に大きい。日本では、10番目の面積を持つ。標高は最高点は回峰(まわりのみね)の282.4mで、海側から見ると殆ど平らにしか見えない。1936mある隣の屋久島と比べると対照的である。中心都市は西之表市。 沿革 種子島でもっとも古い遺跡は、南種子町横峯遺跡(鹿児島県指定史跡)、中種子町立切遺跡・大津保畑遺跡で、約3万5千年前(較正年代)の遺跡である。これらの遺跡は、鹿児島県内で最も古い遺跡である。また、旧石器時代に人類が生活をした数少ない離島の一つでもある。種子島では細石器文化も確認されていて、南種子町銭亀遺跡は、細石器文化が確認された日本列島最南端の遺跡である。 縄文時代の種子島では、九州島南部の縄文文化とほぼ同一の土器様式が確認されている。一方、弥生時代後期から7世紀にかけての種子島では、独自の貝文化が展開した。(種子島)

種子島銃

『火縄銃』より : 火縄銃(ひなわじゅう、英: Matchlock gun / Arquebus)は、初期の火器(火砲)の形態のひとつで、黒色火薬を使用し、前装式で滑腔銃身のマスケット銃の内で、マッチロック式(火縄式)と分類される点火方式のものをさす。通常、日本では小型のものを鉄砲、大型のものは大筒と称する。 マッチロック式は、板バネ仕掛けに火の付いた火縄を挟んでおき、発射時に引き金を引くと仕掛けが作動して、火縄が発射薬に接して点火する構造である。(詳細は#射法参照) 火縄銃は、15世紀前半にヨーロッパで発明され、特にドイツにおいて発展した。最古の記録は1411年のオーストリア写本「Codex Vindobona 3069」にZ字型のサーペンタインロック式が見られる 。また1430年代に描かれたサーペンタインの金具の図が残っている。 現代の日本では銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)の規制対象となっており、骨董品として所有するにしても登録が必要である。 それ以前の銃器は、火種(火縄など)を手で押し付ける方式(タッチホール式)であった(宋の「突火槍」、明の「火竜槍」、モンゴル帝国及びモンゴルに支配された現ロシアや中近東の「マドファ」など)ことから、扱いが難しく命中精度も低かった。(種子島銃)

種子島宇宙センター

種子島宇宙センター(たねがしまうちゅうセンター、英語:Tanegashima Space Center 、略称:TNSC)は、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が鹿児島県の種子島に設置、運用している、大型ロケットの射場である。略称がTSCでないのは、同じJAXAの筑波宇宙センター(TKSC)と区別するためである。 1969年(昭和44年)10月、宇宙航空研究開発機構 (JAXA) の前身である宇宙開発事業団 (NASDA) の設立時に開設された。面積は8.64km2。現在はJAXAが保有している。 種子島宇宙センターは種子島の南、太平洋側にある南種子町の竹崎と吉信崎に囲まれた湾に面した土地に施設が点在しており、三つのロケット発射施設(JAXAの用語では射場)をもつ。また種子島島内に数ヶ所の観測所を設けている。 地球の自転を利用したロケットの打ち上げは赤道に近いほど有利になるが、種子島は日本最南端とはいえない位置にある。にもかかわらず同島が選ばれたのは、同島より南にある小笠原諸島が当センター設立前年の1968年(昭和43年)に返還されたばかりであり、また、沖縄返還も実現しておらず、計画当時に日本の主権が及ぶ国土の最南端に近い適地が同島であったためである。(種子島宇宙センター)

種子島氏

種子島氏(たねがしまし)は、日本の氏族の一つ。 解説 同家の家譜では、鎌倉時代初期、平清盛の孫行盛の遺児が、北条時政の養子となり時信と名乗って種子島に入ったのが、後の初代信基であるとしており、平氏を名乗っている。ただし、実際は鎌倉時代中期に島津荘大隅方惣地頭・名越氏(北条氏支流)の代官である肥後氏(菊池氏支流)の一族が種子島氏となったと見られる。 鎌倉幕府滅亡後も在地領主(国人)として島を支配。6代時充の頃から「種子島」を称する。1408年(応永15年)、8代清時は守護島津元久より屋久島を与えられる。1543年(天文12年)、14代時堯の代に鉄砲が伝来。島の古来からの豊富な砂鉄をもとに国産化に成功した事はよく知られる。このために、鉄砲の事を「たねがしま」と呼ぶ俗称が生まれた。また、この頃、大隅国の禰寝氏(根占氏)と屋久島の領有権をめぐり激しく抗争している。禰寝氏は肝付氏と結び、種子島氏は島津氏と結んだ。これは「禰寝(根占)合戦」として知られる。 16代久時は島津氏に臣従し、それまで独自に行っていた琉球貿易権や屋久杉の伐採販売権も島津氏の手に渡った。(種子島氏)

種子島時尭

種子島時堯(たねがしま ときたか)は、戦国時代の武将。種子島氏第14代当主。 生涯 享禄元年(1528年)、種子島氏第13代島主・種子島恵時の子として誕生。 『鉄炮記』によると、天文12年(1543年)、ポルトガル商人が乗った明船が種子島に漂着した。好奇心旺盛な数え年16歳の時堯は、この時鉄炮の威力を見て2挺を購入。鍛冶職人八板金兵衛に命じて、鉄炮を分解させて調べさせ、鉄炮製造に成功した(もう一挺は島津氏を通して、室町幕府将軍足利義晴に献上)。これにちなんで、鉄炮は種子島銃とも呼ばれ、戦国時代に大きな影響を及ぼす事になった。なお文書には、この時のやり取りで主に時堯の名が見られることから、これ以前に父・恵時から実質的な家督継承が行われていたようである。 また時堯は、島津忠良の娘を娶り、弘治元年(1555年)には島津貴久に従い大隅国攻めに参加した。正室との間には2人の娘を儲けた。特に次女の妙蓮夫人(円信院殿)は、貴久の嫡男・義久に後妻として嫁いだ。その一方で、島津氏と争っていた禰寝氏からも姫を密かに迎えて側室にし、男子が生まれたのをひた隠しにしていたが、これを知り怒った時堯夫人は、娘2人を連れて種子島を出て鹿児島に帰ってしまったという(その後、夫人は肝付兼盛に再嫁する)。(種子島時尭)

種子島時堯

『種子島時尭』より : 種子島時堯(たねがしま ときたか)は、戦国時代の武将。種子島氏第14代当主。 生涯 享禄元年(1528年)、種子島氏第13代島主・種子島恵時の子として誕生。 『鉄炮記』によると、天文12年(1543年)、ポルトガル商人が乗った明船が種子島に漂着した。好奇心旺盛な数え年16歳の時堯は、この時鉄炮の威力を見て2挺を購入。鍛冶職人八板金兵衛に命じて、鉄炮を分解させて調べさせ、鉄炮製造に成功した(もう一挺は島津氏を通して、室町幕府将軍足利義晴に献上)。これにちなんで、鉄炮は種子島銃とも呼ばれ、戦国時代に大きな影響を及ぼす事になった。なお文書には、この時のやり取りで主に時堯の名が見られることから、これ以前に父・恵時から実質的な家督継承が行われていたようである。 また時堯は、島津忠良の娘を娶り、弘治元年(1555年)には島津貴久に従い大隅国攻めに参加した。正室との間には2人の娘を儲けた。特に次女の妙蓮夫人(円信院殿)は、貴久の嫡男・義久に後妻として嫁いだ。その一方で、島津氏と争っていた禰寝氏からも姫を密かに迎えて側室にし、男子が生まれたのをひた隠しにしていたが、これを知り怒った時堯夫人は、娘2人を連れて種子島を出て鹿児島に帰ってしまったという(その後、夫人は肝付兼盛に再嫁する)。(種子島時堯)

種子島久時 (16代)

種子島 久時(たねがしま ひさとき)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。島津氏の家臣。種子島氏第16代当主。 生涯 永禄11年(1568年)、種子島氏第14代当主・時尭の次男として生まれる。 第15代当主の座は長兄の時次が継いだが早世したため、一時父・時尭が復帰したあと、薩摩国の島津義久より家督相続を認められて元服し第16代当主となった(義久が烏帽子親となり、“久”の字を拝領している)。 その後は島津氏の家臣として沖田畷の戦いや大友氏との戦いに参戦する。天正18年(1590年)の小田原征伐にも参戦し、このときに豊臣秀吉に鉄砲200挺を献上した。文禄・慶長の役でも、島津義弘に従って渡海している。文禄4年(1595年)、太閤検地の煽りを受けて種子島の領地は島津以久に与えられたため、代わりに薩摩国知覧院に所領を移されたが、慶長4年(1599年)に種子島に所領を戻されている。その後は義弘、島津忠恒の家老として仕えた。 慶長16年(1612年)、死去。享年44。跡を子の忠時(第12代当主の忠時とは別人)が継いだ。 なお、久時は鉄砲術に優れ、文禄・慶長の役において島津軍が無類の強さを見せつけたのは、久時の鉄砲におけるところも大きいといわれている。(種子島久時 (16代))

種子島久時

『種子島久時 (16代)』より : 種子島 久時(たねがしま ひさとき) 種子島久時 (16代) 種子島久時 (18代)。(種子島久時)

種子島経

種子島 経(たねがしま おさむ、1935年(昭和10年)10月17日 - )は、日本の実業家。元BMW東京社長。「日本教育再生機構」代表委員。教科書改善の会賛同者。元新しい歴史教科書をつくる会会長。福岡県福岡市出身。熊本県育ち。カワサキ・Z1製品企画担当者としても知られる。 1954年(昭和29年)3月 九州学院高校卒業 1954年(昭和29年)4月 東京大学教養学部文科二類入学 1958年(昭和33年)3月 東京大学教育学部卒業 1960年(昭和35年)3月 東京大学法学部卒業 1960年(昭和35年)4月 川崎航空機工業(現川崎重工業)に入社。明石工場勤労部教育課に配属 1965年(昭和40年)7月 本社輸出部単車課 1966年(昭和41年)1月 アメリカ・シカゴ駐在員。ロサンゼルスに移り販売網構築 1969年(昭和44年)12月 帰国。明石工場技術部でカワサキ・Z1開発に携わる 1976年(昭和51年) 西ドイツにカワサキモトレーンGmbH社長として赴任 1980年(昭和55年)9月 帰国 1981年(昭和56年) 川崎重工業単車事業本部輸出部長。(種子島経)

種子島貴

種子島 貴(たねがしま たかし)は、日本のゲームクリエイター(企画)、ライター。
スクウェア (ゲーム会社) スクウェア(現スクウェア・エニックス)のプレイステーション用ゲームソフト『ゼノギアス』において設定・考証を担当し、事象変移機関ゾハルの設定やギア(登場ロボット)の名前などを設定。
同じくプレイステーション用ゲーム『FRONT MISSION3』においてイベントディレクターを担当、のちスクウェアを退社。
スクウェア退社後はライターにも活動範囲を広げ、角川書店 角川スニーカー文庫刊『吸血殲鬼ヴェドゴニア』の小説化 ノベライズや、コンプティーク誌上連載の『機神咆吼デモンベイン』(漫画)のシナリオなど、ニトロプラスのメディアミックス展開に参加している。
(種子島貴)

種子島空港 (初代)

種子島空港(たねがしまくうこう)は鹿児島県種子島にある、2006年3月15日まで供用していた第三種空港。本空港の北約8kmの中種子町砂中に新種子島空港が建設され、2006年3月16日に「コスモポート種子島」の愛称で開港したため、種子島空港は同日に供用廃止となった。供用廃止直前には、大阪国際空港及び鹿児島空港への路線が存在していた。
所在地 鹿児島県熊毛郡 (鹿児島県) 熊毛郡中種子町野間
滑走路 全長1,500m、幅45m
面積 34ha
空港設置許可 1958年(昭和33年)12月16日
空港供用開始 1962年(昭和37年)7月27日
滑走路延長 1973年(昭和48年)5月19日 1,100mから1,500mへ 
供用廃止 2006年3月16日 同日、新種子島空港が開港。
周波数
運用時間
126.2MHz
8:30~16:30
周波数
識別信号
(種子島空港 (初代))

種子島空港

種子島空港(たねがしまくうこう、英: Tanegashima Airport)は、鹿児島県熊毛郡中種子町(種子島)にある地方管理空港である。愛称はコスモポート種子島。 種子島のほぼ中央に位置する。約8km南西に位置した旧種子島空港は滑走路が1,500mと短いためプロペラ機のみの就航であったが、新種子島空港の完成により種子島へのジェット機(小型)の乗り入れが可能になった。 現在定期便はプロペラ機のみであるが、チャーター便においてはジェット機が使用され、2006年度冬季より農協観光募集型企画旅行において、日本トランスオーシャン航空のボーイング737型機が全国各地から就航した。。なお、東京から向かう場合には直行便がないため、鹿児島空港で乗り継ぐ必要がある。 愛称であるコスモポートは、種子島宇宙センターに由来する「コスモ(宇宙)」と空港を表す「ポート」からの造語。 年間利用客数は、国内73,284人(2013年度)。 沿革 1992年11月17日 設置許可。 2005年6月10日 愛称を「コスモポート種子島」に決定。(種子島空港)

種子島恵時

種子島 恵時(たねがしま しげとき)は、戦国時代の武将。種子島氏第13代当主。 生涯 文亀3年(1503年)、第12代当主・忠時の子として生まれる。 恵時が家督を継承する頃、薩摩国は島津勝久とその養子である島津貴久との間で分裂しており、この抗争で恵時は貴久方に加勢し、天文7年(1538年)の加世田城攻めや天文8年(1539年)の市来城攻めなどで武功を大いに挙げている。しかし、南北朝時代より種子島の実権をめぐって争っていた禰寝氏との対立がこの頃激化。弟である種子島時述との対立を禰寝氏に付け込まれ禰寝清年(もしくは禰寝重長)との戦いに敗れ、一時的に屋久島に逃れることになった。この争いは天文13年(1543年)に恵時が禰寝氏を攻め種子島・屋久島から駆逐することで一時的に決着をみた。 これと前後して天文13年(1543年)に鉄砲が種子島に伝来。『鉄炮記』などこの事項を示す文書には主に子の時尭が登場していることから、この前後に時尭に家督を譲っていたと考えられている。(種子島恵時)

種子島・屋久島交通

種子島・屋久島交通(たねがしま・やくしまこうつう)は、鹿児島県の種子島・屋久島を営業エリアとするバス (交通機関) バス事業を行っている企業。鹿児島県南部、種子島、屋久島などの交通・観光事業者各社とともに「いわさきコーポレーション いわさきグループ」を構成している。
2004年(平成16年)4月1日 いわさきコーポレーション(種子島交通・屋久島交通)の譲渡を受けて発足。
西之表 - 西之表港 - 野間 - 種子島病院 - いわさきホテル - 種子島宇宙センター
種子島空港 - 西之表
種子島空港 - 野間 - 種子島病院 - いわさきホテル
平成21年3月31日 種子島支社全路線バス廃止(西之表市コミュニティーバス、スクールバスは除く)
永田 - 宮之浦 - 屋久島空港 - 合庁前 - 安房 - 尾之間 - 栗生橋 - 大川の滝
(種子島・屋久島交通)

種子島実業高校

『』より : (種子島実業高校)

種子島高校

『』より : (種子島高校)

日本の滑走路

防衛庁・米軍の滑走路

北海道の滑走路

東北の滑走路

関東の滑走路

中部の滑走路

近畿の滑走路

中国の滑走路

四国の滑走路

九州の滑走路

沖縄の滑走路

ロケット発射場

日本の射場

ロシアの射場

アメリカの射場

カザフスタンの射場

中国の射場

日本の競馬場

日本中央競馬会

地方競馬場 北海道

地方競馬場 東北

地方競馬場 関東

地方競馬場 中部

地方競馬場 近畿

地方競馬場 中国・四国

地方競馬場 九州

世界の競馬場

フランスの競馬場

イギリスの競馬場

ドイツの競馬場

カナダの競馬場

アメリカの競馬場

images

No Known Copyright Restrictions

Clouds - White Pass, Kings River Canyon(Proposed as a national park), California, 1936.
Dark foreground and clouds, mountains highlighted, Heaven's Peak, Glacier National Park, Montana.
Photograph of airmail planes at Cleveland, Ohio
ANA DC-3 Kurana VH-UZK over Melbourne, c. 1940s, by unknown photographer
Roamer wins at Belmont(LOC)
Horse Show - Long Branch(LOC)
View of Atlas missile launch
40th Street between Sixth and Seventh Avenues, from Salmon T...

Creative Commons License

Blender3D CubePlaneCollision1.gif
Attribution
Share Alike

www.cyberframe.info

Service

Information

このサイトでは、地球上の美しい風景や面白いスポット、興味深い場所などを ©Google が提供する WEB サービス等を利用して、視覚的なイメージで紹介しています。

サイトの表示に関してや更新など、メンテナンスに気を配っておりますが、もし不具合がありましたらご容赦下さい。